共依存的なもの:夜中に犬に起こった奇妙な事件4

 7月26日エントリー(前々エントリー)にいただいたSalasaさんのコメントへの返しです。とんでもなく遅くてすみません。その前に時候?の挨拶を。
 シドニーは今が一番寒い時期ですね、きっと。逆季節の日本の関東は今日も暑かったです。現在23時半、私の部屋の気温は32.5度です。窓を開けているので少しだけ涼しい風が入ってくるのが救いです。扇風機は入れていますが、何となくで冷房の電源は入れていません。手ぬぐいを濡らして首にかけていると案外凌ぎ易くなるので。
 そんな感じで今年は手ぬぐいが増えました。昔ながらの柄もありますが、最近ならではの柄もあり面白いです。Salasaさんがブログでお勉強の成果をたまに書いてらっしゃるので、私もネットで見かける手ぬぐいの使い方、包み方を纏めてみようかな、風呂敷も。
 で、お返事本題です。6月26日放映の「音楽祭」について
> かの君のビジュはいかがなもんでござりましたか??
と言うことでしたが、良かったです。その次に出演した7月12日の歌番組「THE MUSIC DAY 音楽のちから」に比べたら遥かに。音楽の力では薄汚い髭を生やしてしかも青いテカテカのスーツ(Misson of loveの衣装)、四の方の貧相さが際だつ劣悪な組み合わせでしたので。
 四の方の小汚さを上回るのは某事務所の他のグループには居るまいと思っていたのですが、いました、いい勝負の人が。関西の7人グループで、グループシャッフル?で二の方と一緒の組で「風を切れ」とシャウトしていた人です。後輩グループなので、四の方よりも若いと思われるのですが、小汚い感じといいとてもいい勝負でした。つうこ大明神様はいらっしゃらなかったらしく、髭を生やしたがる人々は生やし放題だったようです。2つの歌番組については何処かで書きたい。
 お返事以上です。

 4月の舞台の感想的なものを平然と未だ書く。
 幸人父のこと。ネットで見た感想には、幸人が大事だから行きすぎた、という感じのものが多かった。それもあるのだろうが、私は父に共依存的なものを微かに感じた。
 私は厳密にそれを知っているわけではないが、wikiなどによると、「共依存とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存する、その人間関係に囚われている状態を指す。一般的に『共依存』と言うと、病的な人間関係などを指すことが多い。共依存者は自己愛・自尊心が低いため、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、共依存関係を形成し続けることが多いと言われる。」とのこと。
 ただ、肝心の幸人の方が依存するという意識を持っていないようなので。恐らく、幸人は依存という形で他人に縛られない自由な存在なのかもとも。
 幸人父は幸人を必死に守っているようでありながら、幸人に必死ですがりついていた部分もあったのではないかと。幸人を育てるストレスは、幸人母には家を出るという形で現れたが、それをきっかけ(自尊心も傷ついたのかも)に幸人父にはストレスが共依存的な形で現れたのではないかと。
 幸人母が近くに戻ってくるのをきっかけとして幸人父が穏やかになっていくのも、複数のストレスの内の幾つかが消失または半減したというのもあるかも。

 共依存的。この1年間ひたすら再生し続けた特撮ドラマオーズでも。主人公の映司にもその傾向がさらに微かにだがある。普通の人間が映司の共依存と思われる行動をとっても共依存とは思われないと思う。が、映司の、普段のかなり特殊な映司自身の行動パターンと比較すると、明らかに異常で共依存的と思われる行動がある。
 この思考が私の頭にあったせいで、幸人父の行動が共依存的に見えた部分もあったかも。

 舞台に戻って幸人のこと。私にとっては幸人の思考パターンは案外と馴染みやすかったというのが個人的印象。「お父さんに殺される」で言葉というか理論の飛躍が大きすぎて、戸惑っておいてかれてしまったが。おいて行かれた自分の柔軟性の無さが悔やまれる。頭の切り替えが出来ないままに、それ以降を見ることになってしまったので。
 四の方のこと。実は今回の舞台では、四の方はもっとナチュラルな声質(IZOのDVDのソロインタビューの声質)で喋ってくれるのだろうと勝手に期待していた、15歳の役なので。その本来の声質でしゃべれないわけはないだろうから、恐らくアスペルガー症候群の人の実際のしゃべり方が今回の舞台での、何処か外部に対しての緊張感的なものを残した声の出し方なのだろうなと勝手に憶測している。
 15歳の役は、安心して舞台が開くのを待っていられた。次の舞台、タンゴの方は四の方にはかなりキツいだろうなと憶測中。四の方みたいな身体の使い方をする人間には、身体使いにおいては15歳の方が絶対に楽な役。タンゴは機会があればいずれ。