「お父さんに殺される」の意味合い:夜中に犬に起こった奇妙な事件2

 4月15日エントリーにいただいていたSalasaさんコメントへのお返事から。
> めっちゃめちゃかわいいやん。できるやん、なんであかんの!
> この絵のどこが気に入らんの??
 あ〜。Salasaさんや私など髭撲滅派は「素晴らしい!!」としかいえない写真ですが、四の方本人はきっと気に入らないんでしょうね。
> テヘっな顔。
 これは、白いマグカップを頭に乗せた写真のことでしょうか?。可愛い感じで写っていて貴重だ!と思いました。が、その一方で、こんな感じで写ったら四の方はその反動とか自己嫌悪的揺り返しで次回雑誌撮影時には”擬態髭がプラス1cm増”とかいう風に悪化しそうな気がして怖いです。
 今回の舞台でも、「15歳に見えなくても〜」みたいなことを雑誌等で何度かほざきやがっておりますので、反動の兆しはすでに見えているので、『そんなに無理するな四の方』と思いました。(←髭容認派になったわけでは決してございません、同士Salasaよ。)
> なぜかいつも弁明調になっている。ダンスうまいのよ、おしばいもね、可愛いのよ、照れ屋なの、などなど と、ぐだぐだ説明させるなーーーーーーーーーーー
 心中お察しいたします。取りあえず、証拠写真を1枚でも多く手に入れて弁明?相手に見せるしか。今回の舞台パンフレットはそんな写真です(除く、練習風景写真)。
> <なぜこれしきの事に全力で抵抗するのか> 命題ですわん。。。。
 四の方だから。擬態をせずにいられないから。髭もそうだけれど、声までも擬態している節があるんです、四の方は。
 擬態なしのナチュラルな四の方の声質についてはどこかで書きたいです。
 お返事は以上です。


 前エントリーの続きの舞台の話。幸人のインプットをうわばみインプットとタイトルに入れていたが、うわばみはやはり違うような気がする。うわばみのように能動的に飲み込むという感じはないので。では、何というのが正しいのかというと妥当なのが思いつかない。
 そのインプットだが。幸人が新幹線に乗った直後、幸人が大半の人達とのインプットの違いを認識している台詞があった。窓から見える景色の認識する量と質の差を述べながら、「(大半の人達は)怠けている」みたいに幸人は思っている。大半の人達である私たちが幸人達みたいな人に何故出来ないと不満を持つように、幸人(達)も大半の人達に不満を持つんだな、そういうところは大半の人と同じで変わらないんだなとも思ったり。

 インプットよりも問題なのはアウトプット。他人に向けてもそうだけれど、幸人の心の中でのアウトプットも含めて。情報がありすぎて幸人自身にも整理不能で混乱している部分が常にあるような印象を受けるアウトプット。
 まずは、「お父さんに殺される」という理由で家を出て静岡から西葛西?に行った行動について。その道中、錯乱しかかった幸人の心に中に現れた(呼び出した)のが、まずは瑛子先生。電車の乗り方の実習をしたと舞台前半で語っていたので、その時のイメージを呼び出したのかなと。幸人にとって友達のように信頼している人でもある瑛子先生のイメージを呼び出すのは納得。
 逆に何故っ?と引っかかったのが、西葛西行きの電車(だったかな)に乗るとき、人々の動きが怖くて乗れなかったときに幸人父のイメージ(声だけだったかも)を呼び出していたこと。「お父さんに殺される」という理由で出てきたのにそんな人間の声を信用するのか?、と私は混乱した。もしかして、死という概念を幸人はよく理解できていないのかなとも思ったのだが。
 ただ、それよりも思ったのがもう1つある。観劇中はよく分からなかったが、この”殺される”は「犬が”殺された”」の”殺される”ではなく「お母さんは”死んだ”」の”殺される”の方だったのか?とも。生き物としての死ではなく、存在の認識の抹消というか。もしそうならば、電車に乗る際に幸人父のイメージを引っ張り出してくるのは妥当な範囲ということになる。言い換えれば、幸人は父に捨てられる可能性とかそういう方向性を恐れたのかも。
 幸人にとっては"約束"というのは余り価値がないものかと。やりたいことがあればそれを優先する。ならば約束されたことでしかない数学検定を寝られなくなるほど受けたがったのは何故なのか。幸人に「検定のことは今は言わないでくれ」と懇願する幸人母を追いつめるレベルで苦しめてまで受験したいと騒ぐ幸人の理由(このシーンは母に救いを求められているのに、それを幸人が足蹴にしているようにも思える位)。
 上記の場面を見ると、幸人母の言葉は幸人には全く通じない、残らないようにも感じられる。でも、幸人母の言葉と行動も幸人の中にしっかり受け取られて残っている。両親にでも触られることを怖がる幸人が、安心して接触できる恐らく唯一の方法は、9歳(だったかな)の夏の海辺での母と手を合わせた方法。その後、舞台中にこの幸人が手を合わせるコミュニケーションで応えるのを何度か見て、「幸人は幸人母の思いをどこかでちゃんと受け取っていたんだな」と思った。
 数学検定受験当日も、寝不足空腹の披露の極地の幸人は問題を好んで(楽しんで)解ける状態ではなかったと思われる。一般人ならそれでも、約束に対して義務という形で、あるいは対社会的箔付けを得る為に受検するのだろうが。幸人はそういう価値観とは無縁なような気がする。単に数学の問題を解く機会の有無ならば、検定以外にも問題集的なものでやれるはずなので、こだわる必要はないような気が。
 受検の延期を嫌がって受検した理由。それは父が幸人のためにお膳立てをしたのを幸人は記憶していたからではないか、と。舞台前半で幸人父が学校の先生と受検の件で揉めていたのを、(うろ覚えで自身がないが)無反応でその場にいた幸人。そのやりとりに無関心に見えてもすべてを記憶してしまう幸人は、どこかで父が自分のために動いていることを理解していたのではないかと。だから、「お父さんに殺される」、お父さんと話したくないと行動しながらも「受検したい」、になるのかと。
 
 原作が届いて読んでみたら、「うわ。とんでもない読み間違いをしているよ自分」と頭を抱える結果になるかもしれないが、舞台からの幸人の心理の印象はこんな感じ。幸人のアウトプットは大半の人間のそれとは大きく異なり分裂気味に見えるのでとても分かりにくいが、何処かで幸人は両親の自分への思いをちゃんと受け取っているのだなと。