うわばみインプット、異次元アウトプット:夜中に犬に起こった奇妙な事件1

 Amazonからの「夜中に犬に起こった奇妙な事件」の本の到着は観劇前には間に合わなかった(発送未定で状況によっては注文取消しになってしまう場合もあるとメール連絡にはあった)。

 某GROUPとタグは付けているが、四の方自身については書いていない。舞台内容そのものについてだけ。
 原作を読まなくても話の大筋の流れは追うことは出来た。先に気になった(引っかかった?)2箇所について。
 1つ目は、瑛子先生が幸人の書いた本(というよりも克明な日記?)を劇にしようと言ったこと。丁度、幸人父が幸人に自分の罪を告白?した直後位のタイミングだったためか、人の不幸的な事を劇にしようという神経にちょっと鼻白んだ。
 帰宅後買ってきたパンフレットを読んで、時空(”時間と空間”?)が変わっていくと記述があり、もしかしたら原作の削られてるシーンを私が知らないせいでそう感じるのかも、とか。演出の関係で「劇にする」という言葉が必要だったのかも、とか考えたり。
 パンフレットを見ると、役者さんたちの役のイメージ写真見たいなのがあったが。一人複数役をこなす人たちではなく、一役だけこなす人たちの中で、瑛子先生役の人だけが舞台と大きくイメージが違っている感じがある。パンフレットに写っているのは、もっと研究者肌の女性みたいな感じで。逆に舞台にいたのは友達っぽい感じの先生で。この人がパンフレット撮影時から本番までに解釈を大きく変える必要があったんだろうなと推測してみたり。
 2つ目。幸人の父母は隣人で仲の良かった佐久間夫妻(と犬)をボロボロにしてしまった、ある意味とんでもない人たちだ、ということ。でも嫌いではないです。まあ、現実に自分が類似するような目にあったら逆上ものかもとは思うが。
 佐久間さんたちはどちらも何かかわいそうだった。奥さんの方は怒っている場面しか出てこなかったので、まあそうでもないのだが、夫の浩平の方は特にかわいそうな感じが。幸人が訪ねていった途端に浩平の方をないがしろ?にし始める山口母。幸人に突き飛ばされた山口母の事を案じる浩平に対して、凄い差だと。再会の場面で、こんなんでいいのかなと不安に思っていたら浩平は不幸な結果に。そんなこんなで物語の結末に不満はないが、佐久間さんたちかわいそうという感想も残った。
 以上2カ所が引っかかったところ。これから本当に気になることを書く前に不満点をすっきりさせたかったので。


 さらっとネットで見た感想の中には幸人を外から見た感想が多かった。幸人の中から見た物語らしいのに、幸人の内面に対する感想には(運悪く)出会えなかった。観劇後、気になるから記憶を頼りにもっと理解したいと思ったのが、幸人の中から見た世界、特に父母の存在の意味。時間が許す限り、これを纏めてみたい。
 父や母が幸人に苦悩を語っている(それどころか、むしろ助けを求めている)横で、無関係なことを喋り続けたり呻き声を上げ続けたりする幸人はかなり疎ましいし苦痛な存在だ。基本的に私自身は、その話題について相互に理解できるないしは理解できる可能性があると思えなければ会話を切ってしまう人間なので、現実では幸人のような人間とは会話をしようとは思わないと思う。ただ、先に述べた幸人父母が嫌いでないように、私の現実ではないので幸人も嫌いではない。

 舞台の最後の6分間。幸人が問いた問題の解説時間(ショータイム?)。四の方よりも問題の方に意識が行ってしまった。幸人がものすごい早口で(まるで早口言葉のようだったよ)問題文を読み上げていて、早すぎてこちらは理解できなくて狼狽えていたら舞台の上方に問題文の字幕が出ていた。習慣的に言っていることを理解しなくてはと思った瞬間、字幕にすがりついていた。8割字幕、1割四の方、1割他の役者さんという感じの意識配分になってしまった。直角三角形の辺の長さを各辺の長さを持つ正方形の面積を利用して解く(証明する)あの問題は高校時代の数学で見た証明問題だったかと。多分、天才でなくとも普通科の高校生なら劣等生でも必死で頑張れば解けるようになる程度の問題で。
 幸人が受けた準一級は高校生(高卒含むかな?)レベルの問題。更に気になって15歳は何年生と思って調べたら中学3年生〜高一。空腹と寝不足で、実際に問題に着手出来た時間は少なかったろうけれど、天才というレベルではないような感じもある。
 むしろ天才(というものがもつ閃き)よりは、常人とは異ならざるを得ない視点と底なしの記憶力を持つ少年という感じが。専門家ではない私にとっては幸人が自閉症であろうがアスペルガー症候群であろうが大差はない。何らかの理由でコミュニケーションが上手くとれない子という理解レベルだ、私の認識は。幸人はうわばみのごとく外部の状況をインプット(記憶)し、常人とは大きく異なる異次元アウトプット(感情表現、行動)している気がする。恐らく、人間である幸人よりも犬の方が常人に近いだろう。待てと言われれば我慢できる限りは待ってくれるし、人間が悲しがっていれば何となく察して寄り添ってくれる。(脱線:ふと思ったのだが、犬やら他のほ乳類にはアスペルガー症候群に類するような症例?は無いのかな?。)
 うわばみとか異次元とか考え始めたきっかけは、舞台上に居続ける役者さん達のせい。幸人と会話しているときは彼らは幸人の本を演じている人たちだが、それ以外では幸人のリアルな心の中でも常に動き続けているのかなとも思える。幸人が幸人父の財布からカードを取る時、椅子に座っている人たちが(舞台左列の人たちは視界に入れられなかったが右列の人たちは)驚いたかのように一斉に立ち上がったのが何かを意味しているような気がして。なんて言うのか、五感以外で他者の存在を感じ取っているかのような。確かそういえば、浩平も幸人母の方を何度か見やっていたと思う。人間に触れられるのは怖がるが、動物(犬、ネズミ)は平気とかなのも、そんなことと関係があるのかもとも。自我と他者の境界線が曖昧というか、弱いというか。私たちが「ここまでが私」と勝手に区分線を引けるところが幸人には引けないのかもとか。
 うわばみとか異次元をあながち間違いでもないかもと思ったのは、浩平が幸人に嫌味みたいなことを言ったときそれを聞いた幸人母が「(無反応な幸人を認識しながら)この子はあなたが言ったことを理解して(聞いて?)いるのよ」みたいな台詞。幸人は浩平に興味を持っていないのに、その言葉を理解し(インプット)、でも無反応(アウトプット)。

 幸人をそんな存在だろうと仮定した上での、幸人の中での父母と瑛子先生の意味合いはまた。