僕はやっぱり宇宙へ行く:夜中に犬に起こった奇妙な事件3

 前エントリー等にいただいた gomamaさん(gomama164さん)のコメント返しから。
 以前もらったコメントでの”コンテンポラリーダンス”の一文。舞台終幕後のショータイムの方ではなく、舞台最中のダンスは確かにコンテンポラリーダンス風でしたね。

> 夜中に〜の原作本ですが、友人が1月末くらいにネットで注文したらしいけど、
> まだ届いていないそうです。
> 2ヶ月以上も前の注文にも対出来ていないネットは、ちゃんと本を届けられるのかしらねぇ。
 キャンセルも出来るので、誠意がないと思う人はキャンセルしているでしょう。ちなみに不精者の私は、これ以上自力で探すのが面倒なので、Amazonさんが運良く探してくれるのを期待して注文維持です。

> 数検を受けると言い張ったのは、1度決まった予定を変えられない、
> 自閉症の特性によるものでもあると思います。
 "でもある"というよりも、寧ろその特性の方がより大きく影響しているだろうなとは思います。ずっと以前に、wiki辺りでアスペルガー症候群についてさらっと読んだ記憶があり、同症候群の特徴に「決まったことや約束事を変えられない、融通が利かない」みたいなのを読んだ記憶は残っていました(でもこの舞台のために読み返しはしていないですが)。食欲不振や眠れなくなるほど行動が烈しいのも、恐らく同特性なのだろうとも。
 ただ、舞台最後の方の幸人のモノローグ?から(瑛子先生に「僕は何にだってなれる」という台詞の方ではなく)、幸人は両親から何かを受け取っているんだなと思えて。表面的には?父や母の思いを全く受け付ける気がないような行動の印象が多く残っている中で、その真逆ともいえるような両親の思いを受け止めている部分があるの気づいて驚いたので、この症候群の特性を無視した書き方をしていました。観劇中には気づかなかったが帰宅後眠って起きてみたら、幸人が検定に父親の思いを重ねている可能性に気づいたとき、とても驚いたものです。
 お返事は以上です。


 前エントリータイトルを
    愛情は受け取っているのに分裂気味のアウトプット
から
    「お父さんに殺される」の意味、アウトプット
へ変更。
 あとそのほかにも少々、gomamaさんのお返事に関わる部分以外でも少しだけ同エントリー文章を手直し済み。

 当エントリータイトル「僕はやっぱり宇宙へ行く」。これはパンフレットから持ってきた言葉。「僕はやっぱり宇宙へ行く、”夢か叶う”ことになるからだ。」から。記憶が曖昧になってきているが、1幕では宇宙へ行く(宇宙飛行士になる、も含む)という希望や意志を表す言葉を幸人は語っていたが、2幕では幸人は宇宙という言葉を口にしていなかったかと(←かなり自信がない)。
 それをにおわせるような部分は、2幕終盤で、幸人が瑛子先生に「僕は何にだってなれる」と語った部分がある(ここでもしかしたら宇宙関係の言葉があったかも)。この部分には「宇宙飛行士になって宇宙に行く」というニュアンスはあるとは思う。ただ、ここは幸人が自分自身の能力について自信を持っただけ、ともいえる部分かもとも。実は観劇中「でも”学校の先生になろう”とは思わないでね、幸人。研究者なら良いだろうけど」と思っていたほど(まあ、幸人のパーソナリティなら”学校の先生”は思わないだろうが)。
 「やっぱり宇宙へ行く」の”やっぱり”という言い回し。ここでは”やっぱり”という言葉は、逆接的意味合いを持っているように感じられる。

 私が作中で一番安堵したのは、2幕終盤の「庭の畑に作物を植えた、ゴールデンの散歩をする、等々」の生活(世界)が変化したことを、世界に以前よりは興味を持ち(受け入れ)、自身ではないという意味での他人という両親との関係を以前よりも受け入れ始めていることを感じさせる幸人の近況を語るモノローグ?。これが安堵するし好きだ、自身の能力への肯定要素が大きい「僕は何にだってなれる」よりも。恐らくそのせいもあって、「僕はやっぱり宇宙へ行く」をモノローグの台詞の方と関連付けたくなっているのだろうが。
 多分、1幕のコンテンポラリーダンスがあった宇宙飛行士になる夢を語る部分は、これは夢を語っているように見えて、世界を閉じよう、世界と断絶したいという幸人の世界観が強く見えたように思える。華やかな踊りで表現されていたが、純粋に宇宙への興味というのも含んでいたのだろうが、閉ざされた一人だけの世界を望んでいるシーンに思える。
 少しであっても世界を受け入れ始めた?ので、1幕の「一人になるために宇宙へ行きたい」ではなくなったけれども、”やっぱり”宇宙へ行く、なのかな、と。
 かなり自信がない感想だが、そういう印象を持ったので書き留めておきたかったので書いた。

 瑛子先生の家で暮らしたいと幸人が言った場面。それとゴールデンの子供が出てくる場面。記憶が曖昧だが、この順番の場面だったかと。「瑛子先生の家で」での台詞も余り覚えていないのだが、自身の居場所をそこにしたいと言うだけで瑛子先生と接触を持ちたい等ニュアンスはなかったような印象。
 舞台中では、瑛子先生からは影響はさほど受けていない幸人。逆に両親からは幸人の自覚の有無に関わらず、大きな影響を受けている。幸人にとっては、愛情というプラスであろうがマイナスの感情であろうが関係なく両親から影響を受ける事自体が苦痛だったのかも。その影響からの逃避先が、無影響の瑛子先生だったのかも。

 後、もう少し書きたい。両親から見た幸人、多分父親から見た幸人を特に。後は四の方のことを少し。