四の方の声と、昨年10月のお返事を今更書く無神経さ

 エントリータイトル通りの人間だね、私。

 昨年、9月29日のエントリーに、四の方の声とかしゃべり方についてyu358さんにいただいたコメント返しを。ゆうさんがもう読んでいない方に千点!。
> 思わず「綺麗」と言いそうになって誤魔化すためにあの言葉になったのだと。
 そういう自身の感性の柔らかい部分を相変わらず隠そうとする四の方のそういう部分は気に入っています。
>店頭に飾られてるデコレーションのハートを見て、すぐに反応して
>「あ、ハートだあ♡」と可愛い声を出してたのがとても印象的でした。
 警戒や防御で構えている時と悪ぶっている時の作った声(←でももはやこの声も第二の地声として不可分に身につけてしまっている模様)は別ですけれど、そういう心理的防壁が働かない時の声質は可愛い目の声質ですよね。

 四の方の声で、どうにも受付け難い声質が出来てしまいました。「鉈切り丸」の時の源範頼の声です。昨年のブエノスアイレスの舞台でも、ニコラスが相手に勝つために相手を脅そうとするようなしゃべり方の時が、私の中では範頼の声と重なりかなり嫌でした。風間の時はそういう声の出し方(声帯を押しつぶすような感じの声の出し方)を余りしなかったので平気でしたが。

 映画ひめあのーるは髭無らしいけれど、内容から見ることは出来ないと思います。助手をやるドラマの方は見ることができそうかなと思いますので、ゆうさんと私のために、「髭無し来い来い」と今から祈っておきます。変装するとのうわさがあるので、それなら髭はあってはいかんだろうと、心の底から思っております。
 余談ですが、NHKの紅白はツウコ大明神様のお力が通じないらしく、髭ありでした。まあ、例年そこに出場しているらしい先輩バンドグループのボーカルさんが髭ありなので、御力が通じないのは存じていましたので予想道理と言えばそうなのですが。

 以上、御返事でした。


 ついでなので、前述2つの舞台について少し。
 「鉈切り丸」では、建礼門院の登場する意味が自分には良く分からなかった。彼女の存在によって範頼が多くの人に手をかけていったのが、建礼門院の呪いのせいなのか、範頼自身の歪みのせいなのか曖昧になってしまったような気がする。原案?のシェークスピアで登場する魔女だったか亡霊だったかのポジションに当てはめたキャラクターとして使われているのは分かるのだが、必要だったのかなという思いが残る。貧血で後半をろくに見ることができなかった癖にそういう疑問を平気で持つ人間。
 義経と巴の殺害シーンは克明な描写だったのに対し、頼朝の毒殺描写は縫いぐるみのネズミが出てきて漫画チック?だったこと。余り話が重くなりすぎないように漫画チックなものを間にはさんだという要素もあるのかもしれないけれど、範頼にとって、ある意味別格の存在であった義経と巴と、そうではない頼朝という差もあるのかなと。
 醜い外見とされていた範頼から見て自身と対極に位置するように思える義経と巴、間接的か直接手をかけたかの差はあるけれど。義経が殺される流れの中で本来ならその場にいないはずの範頼が舞台上でずっと義経が死ぬシーンを見続けていたのは、自分が直接手をかけたかった位の執着ないしはこだわりを義経に持っていたのだろうなと。巴の殺害シーンの描写が観客の何人かが脱落する予想を付けていながらあの描写にしたのも、範頼の執着ないしはこだわりという歪みを描きたかったのだろうなと。この2人の殺害シーンに、範頼の歪みという共通性を感じた。
 なので、最初に戻るが建礼門院の呪いが存在すると、範頼の歪みという焦点がぼやけるような気がするので必要なのかなと思ってしまう次第。



 「ブエノスアイレス」、書こうと思ったけれど遅くなったので次回。5月の新曲の話も書いてみたいことはあるし、六の方が無事にエベレストから戻ってこれて良かったと思うこともあるし、少クラのことも書きたいし。2013年から2014年の小塚のことも書いてみたいことがあるし。有吉ゼミというのに出てきた小塚と水泳選手の立石さんの大笑いした鍋作りも書きたいし。オーズも書きたいが、いつ終わるか分からない残業期間で寝不足気味なので今回はここで終了。