金閣寺:ミュージカル要素を受容可能か-2

 前エントリー続き。
sintaro様へ。
 結論から言えば、sintaro様の好みとして、許容できるかどうか、だけの問題だと思います。なので、対極にある2つの見解を。

 昨年KAAT公演の頃は、亜門さんのミュージカル的な身体表現を含む演出を嫌がっている人も、ネットなどでは案外見かけました。今年の凱旋ではあまりそういう人を見かけなかったのは、慣らされたか、見にいかなかったかのどちらかだろう(今年は、私もそこまで熱心に評価をネットで探さなかったのも)。
 そんな批判的意見の中には、シェイクスピア舞台を活動の場にしている人もいた。身体表現みたいな演出をせずに、四の方の演技そのものにウエイトをもっと置けば良いのに、みたいな見解だったかと思う。鶴川の(一見)明るい動きはミュージカル的なものにも合うが、溝口の自身を守るような動きとは合わない部分がない分けでもない。
 その人が基盤としているシェイクスピア舞台にはミュージカル的要素は無いので、亜門さん演出に否定的になるのは妥当な発想だと納得。そしてミュージカル的要素が無ければ、運動量が減ったはずですので、sintaro様が持たれた
> 肩の辺りが多少こわばりが見えましたが、軽やかな足取りで
> ちょこまか動かれた日には(苦笑)
この辺の不満ももっと少なかったとも思います。

 で、逆の見解。
 その前に、
> 溝口を溝口たらしめている“どもり”が殆んど活きていなかったんですけど?
 この1文がよく分からないまま書くのでちょっと不安ですが。(因みに、どんな演出や演技だったら活きていたと思えたのでしょうか?)
 溝口の吃音は、(柏木が舞台中で溝口に指摘したように)柏木のような生まれつきの内翻足とは異なり、生まれつきのものではない。だから、始まったばかりの舞台で「僕は坊主になるんです」の台詞みたいに吃らないで話すことも出来る位置づけのもの。
 柏木の言葉を借りれば、「君はどもりを大事にしすぎている」(だったかな)。普段はそれを大事に抱え込んでいるが、もっと大事な事、重大な事を目の前にしているときは案外と克服出来ている溝口の吃音。
> それとも、巧く溝口の仮面を着けられなかった?
 多分、四の方の能力ならば、常時身体に吃音を象徴する強張りを身につけたままでいることはさほど難しいことではないと想像しています。なので、そうしなかったのは、演出側の指示によるものだと私は思う。
 演出側は何故そうしたのか。gomama様が書かれたように、観客のことを考えてのものかもしれない。
 あるいは、溝口の苦悩を吃音以外の部分にストーリーのウエイトを移したためかも。前半は吃音で世界と上手く繋がれなかった溝口だが、後半はそれ以外の要素で世界と上手く繋がれなくなっている。そうであれば、吃音を象徴する強張りを前面に押し出さなくなってくるのも自然な演出かと思われる。
 勿論、その辺の変更変化がはっきり分かる内容や演出もなく、吃音を象徴する強張りを常時維持せずに減らしたのは変だ、と考えるのも有りだとは思いますが。
 ちょっと補足すると、sintaro様が想定した溝口の仮面とは違ったかもしれませんが、四の方は何らかの仮面は被りつづけていたと思います。四の方の通常の立ち姿は私が記憶している限りは目にしなかったので。雑誌の表紙で立ち姿がシルエットになっても四の方だと分かり易いちょっと癖のある立ち姿や(15日発売シングルCD通常盤裏面の立ち姿もそれ)、歩き方は目にしなかったので。

 加えて、四の方は10代の若さもしなやかさで身体動作で体現しなくてはいけない。10代のしなやかさと、溝口の身体を固める動きは、本来ならば両立が難しい真逆の方向。妥協点を演出の方でも探ったのかも。(「妥協点の代物を出すな」と、卓袱台をひっくり返したくなる?)
 多分に私の趣味だが、予想されるあるべき動きが見苦しい動きに変わるのは嫌なのだが、滑らかな良い方向の動きになるのは好むというか不問にする傾向はある。なので、強張った動きが軽やかな動きになる事については、抵抗が薄いです、自分。
 なので、sintaro様、
> アレでOKなの?!
私個人の感想としては、OKです。
 もう少し。四の方の演技と踊りの部分において、私にとってより重要なのは踊りの方です。今回の溝口の吃音の強張りを演じることで悪い癖が残って、四の方の踊りに悪影響が残ったら困るな、とかつて思っていたので。昨年の2月13日エントリー「金閣寺:消えた溝口」で「身体が演じる歪みと不快感は、そのまま柏木が自分の身体にもつ強烈な不快感になっていたと思います」と書いたが、柏木ほどでは無いが溝口を演じる際にも、基本くたっとした身体使いを基本にする四の方にとっては身体を固める不快感はあったと思う。そういうものを演じすぎて習い性のように四の方に残ってしまったら嫌だなという、素人考えですが。
 なので以前、yu358様からいただいたコメント、
> 今回で溝口を最後にするというのは、事務所の意向というよりも、
> 彼の矜持だと感じています。
以外にも、上記の不快感の限界もあるのかもな、とチラッと考えていた次第。

 あと1つ、sintaro様へ。
> 観客からすれば、その日提示されたものが全てです。
> 他の日がどうかは知らない。
 書き方が悪かったですね。sintaro様からすれば、ご自身の感想を勝手に分類されている感じで不快だったかと思います。
 済みません、凱旋公演についての感想で、参考になりそうな感想だったので、つい分類してしまいました。ネットで探すと、(結末部分についても)素晴らしい出来だという思い込みに立ち過ぎた感想が多くて…、自分が見ていない回の役に立つ(感想)資料?が欲しかったので。感想教えてもらえて、どうもでした。